家族で支える東京のニット工場
織物の街、東京都八王子市にニット工場を構える有限会社佐藤ニット。ご家族4人で経営する体制は、ものづくりしたい人に寄り添い、ひとりひとりに対応する少数精鋭の強みを持っています。今回はそんな優しさと強さを兼ね備えた有限会社佐藤ニットの社長の佐藤 祐幸さん、敦彦さん、理恵さんとBLUEKNIT storeのクリエイティブディレクターを務める梶原加奈子さんとの対談の模様をお届けします。前編では、有限会社佐藤ニットの創立から、八王子に工場を構える特徴について語って頂きます。
BLUEKNIT storeクリエイティブディレクター
梶原 加奈子
北海道札幌市生まれ。多摩美術大学デザイン学部染織科卒業。
(株)イッセイミヤケテキスタイル企画を経て渡英。英国王立芸術大学院(RCA)ファッション&テキスタイルデザイン修士課程修了。2008年KAJIHARA DESIGN STUDIO INC.を設立。
日本産地の素材を集結させたテキスタイルブランドKANA COLLECTIONを立ち上げ、海外のハイメゾン向けに素材を提案。クリエイティブディレクターとしてもブランディングや地域活性化と連携。札幌の森にショップ、ダイニング、ゲストハウスの複合施設「COQ」を立ち上げ、自然と共に過ごすサーキュラーライフバランスを発信している。
2022年より(株)島精機製作所が立ち上げたサステナブルECモール「BLUEKNIT store」のクリエイティブディレクターを務めている。
北海道札幌市生まれ。多摩美術大学デザイン学部染織科卒業。
(株)イッセイミヤケテキスタイル企画を経て渡英。英国王立芸術大学院(RCA)ファッション&テキスタイルデザイン修士課程修了。2008年KAJIHARA DESIGN STUDIO INC.を設立。
日本産地の素材を集結させたテキスタイルブランド KANA COLLECTION を立ち上げ、海外の廃メゾン向けに素材を提案。クリエイティブディレクターとしてもブランディングや地域活性化と連携。札幌の森にショップ、ダイニング、ゲストハウスの複合施設「COQ」を立ち上げ、自然と共に過ごすサーキュラーライフバランスを発信している。
2022年より(株)島精機製作所が立ち上げたサステナブルECモール「BLUEKNIT store」のクリエイティブディレクターを務めている。
左から息子さんの佐藤敦彦さん、代表取締役の佐藤祐幸さん、娘さんの佐藤理恵さん
【梶原】
私の出身大学が八王子にある多摩美術大学なので、工場に来るまでの道のりに懐かしさを感じます。自然に囲まれていて静かで良い場所だと改めて感じました。八王子産地は東京都内のアパレルさんとも近い距離で行き来しやすいメリットがあると思いますが、いかがですか?
【敦彦さん】
我々も多摩美とは昔からご縁があり、以前は学生さんが工場見学にいらっしゃいました。弊社は主にOEMをやりながら生産をしていますが、確かに東京には工場が少ないので都内の会社の方々から様々なオファーを受けています。東京都主催の展示会や生地屋さんの展示会にも出展してほしいと依頼がありました。あと、イッセイミヤケさんと関係がある多摩美術大学の先生も何人かいらっしゃいました。
左:BLUEKNIT storeのクリエイティブディレクター 梶原加奈子
【梶原】
佐藤ニットさんのニットはとても軽くて柔らかいですね。私は〈me ISSEY MIYAKE〉というブランドの立ち上げに携わりましたが、このような軽くて薄く縮絨したようなテクスチャーがあるウールニットはお客様が好きだろうなと思います。
【敦彦さん】
そうだったんですね!弊社も「me」の立ち上げに携わっていて、生産もしていました。イッセイミヤケさんの3~4ブランドの立ち上げにも関わりました。
ただ、弊社は規模が小さいので大量生産ができない環境なんです。たくさん作る企業さんの商品だと受けきれない環境ですね。今は主に個人デザイナーさんや小規模のショップを運営している方がほとんどです。
取材対応してくださった 佐藤社長の息子さんの敦彦さん
世代のつながり、技術の継承
【梶原】
会社の創立までの道のりについて、お聞かせください。
【佐藤社長】
私の父親が繊維会社に勤め、母親が編み物教室をやっておりました。ちょうど父親が退職する頃に両国のメリヤスの工場が減り始め、八王子の幡屋さんも全盛期から落ち始めました。それから両国のメリヤスの機械が八王子に流れてきて、何かやらなきゃという思いで機械を紹介してもらい、父親がニット工場を開業しました。
取材対応してくださった 代表取締役の佐藤祐幸さん
【佐藤社長】
私は生まれた時からそばに糸がある暮らしをしてきて、22歳で家業を継ぎました。 当時はオーダーが入れば同じものを大量に作る時代だったので、仕事がなくなる心配はない時代でした。そのおかげで技術はすぐに覚えることができましたし、ホールガーメントを入れる前までは20年以上横編みの賃加工の仕事をやっていました。
佐藤ニットさんの工場の様子
【梶原】
ホールガーメントを入れるきっかけは何かありましたか?
【佐藤社長】
当時の八王子はニコルなどデザイナーズブランドのモノづくりが盛んでした。だんだん落ち込んできた頃に新しく山梨にできた工業団地に取引先が作った工場を見て、ホールガーメント機で見せながら販売するのを目にし、これからはこのようなモノづくりと販売をしなければいけないと感じ、2000年過ぎにホールガーメント2台をいれる決心をしました。
ホールガーメントの編機から製品が編まれて出てくる様子
【梶原】
なるほど。ちょうど息子さんが後継ぎをする頃でしたか?
【佐藤社長】
そうですね。2002年頃だと思います。息子と一緒に大阪で島精機製作所さんの展示会があったので見にいきました。
【敦彦さん】
学校を卒業し入社しましたが、勉強のため一貫生産をされている工場に入社し、3年間モノづくりについて勉強しながら働いていました。その期間に工場で縫製技術を習ったり、文化服装にパターンの勉強に行ったりして技術を習得することができました。
【佐藤社長】
ホールガーメントの機械は最初に2台入れて、息子のためにホールガーメントの新しい仕事を受けて開発しながらやっていました。当時は並行して従来の付属編みの仕事も行っていました。
【梶原】
世代が上手く繋がり、ホールガーメントの仕事もスタートしたんですね。自社製品の生産はいつ頃始めましたか?
【敦彦さん】
ホールガーメントを投入した当時、これから続けていくところは若手がいるところというイメージがあったので、その繋がりで山梨県にある寺田ニットさんから仕事をもらっていました。寺田ニットさんも息子さんが後継ぎになるタイミングだったので、同じくホールガーメントに力を入れていました。様々な仕事を受けながら、徐々に自分達で作ったものを自分たちで売ろうと思うようになりましたね。
【敦彦さん】
家族4人でやっている事業なので人数的にコントロールが難しい部分もあり、悩んでいた時期があります。ちょうどその頃に八王子市主催の展示会が開催されることになり、自分たちで作ったものを直接販売できるチャンスがあったので挑戦しました。洗濯タグなどの資材も自分たちで準備して、そこからすべての工程を初めてできるようになりました。2007年頃から自社製品の生産は続けています。ホールガーメントを工場に投入した時期が早い方だったこともあり、自社の製品を始める良いタイミングだったと思います。
前編は以上になります。中編では、佐藤ニットさんの特徴や柔軟に対応する姿勢についてお話を伺っていきます。