古くから「商人の町」として知られている大阪。江戸時代には、全国各地から集まった商人たちが活発に取引を行い、経済の中心地として栄えました。この歴史的背景が現在の大阪の経済基盤を築いており、多くの企業や商業施設が集まっている地域です。そんな大阪の中心にある大阪城にほど近い大川沿いにファクトリーをかまえる、リフォームを主軸に行う株式会社フォルムアイさんがBLUEKNITに参加いただけることになりました。
営業企画部長の井上雅子さん、マイニットファクトリー副部長の池田喜則さんとBLUEKNIT storeを運営する島精機製作所(以下、島精機)のインタビューの模様を、前編、中編、後編の3部に分けてお届けします。
前編では、創業当時からオーダーニット立ち上げの話を語っていただきます。
ファクトリーにほど近い場所にある大阪城
ファクトリー横に流れている大川
職人の誇りをビジネスに ファッションリフォームの新時代を切り拓く
【島精機】
洋服のお直しやリメイクなど、ファッションリフォームを主軸に行われていますが、創業当時の話を聞かせてください。
【井上部長】
今でこそリフォーム業界は、どこのショッピングセンターや百貨店でもリフォームショップがありますが、創業当時は、ファッションリフォームという言葉がなかった時代でした。
弊社社長が紳士服メーカーで営業として働いていた際、その時のお直し業界は本当に職人の集まりというか、納期なんてなくて、出来上がったら取りに来いみたいな殿様商売だったらしく、そんな横柄な仕事なんてっていうことで、それをビジネスにしようと思ったところからのスタートだと聞いています。
左から副部長の池田喜則さん、部長の井上雅子さん
【島精機】
創業された当時は、リフォームとかお直しだけをされていたのですか?
【井上部長】
紳士服の補正を中心に、メーカーからの依頼が殆どでした。一般のお客さまのリフォームを本格的に受けるようになったのは、創業から25年ほど経ってからです。
1996年に開店した伊勢丹府中店をきっかけに、そこにリフォームショップを設置していただいたところから、全国にショップ展開していくような形になります。その10年以上前は、社長が考えた「幸せ空間グランママ」っていう名前の、外から見えるアトリエのような店を数店舗展開していました。その当時は、まだまだ一般のお客さま向けのリフォームの売上は1%くらいで、他は企業向けでした。
【島精機】
創業から今年で55年ということですが、長くされてきた中で大変だった時や良かった時のエピソードを聞かせてください。
【井上部長】
高度経済成長の中でなんでも売れる時代だったので、最初はもう本当に忙しかったと聞いています。消費税が初めて導入された時は、社員全員が毎日毎日終電だったと。紳士服販売チェーンの大手企業との取引があり、そこの店舗に人材とミシンを派遣してっていうのも大変だったのだと思いますが、そのおかげで全国展開ができました。
ただ、どうしても紳士服店の中での仕事となってくると、下請け的なことになってくるので、下請けにはなりたくないという社長の想いがあったのだと思います。紳士服店との取引は辞めさせてもらうことになり、その時がまた大変だったのだと思います。会社の売上の大半が、その紳士服企業との取引だったところを辞めたのですから。
でも、下請けにはなりたくないと決断して、百貨店中心にシフトしていった大きな転機だったと思います。今現在も百貨店を中心にさせていただいているので、百貨店との取引ができたところが大きいです。隙間産業でスタートしているので、リフォーム業界の中では名前が通っていたということもあり、時代の流れ、ファッションの流れとともに、お客さまに成長させていただいたところがあります。
ファクトリー内でのミシン作業風景
型紙を引いているところ
【島精機】
大変な決断をされて、時代の変化に対応してきたということなのですね。リフォームをされるとなると、技術者の育成が大変だと思うのですが、技術取得のための制度や気をつけていらっしゃることはありますか?
【井上部長】
昔は、ミシンの仕事をしていたという女性がたくさんいたので、特に何もせずとも高度な技術を身につけていけました。お客さまの要望に応えるために、積み重ねて高度な技術に対応することで、またそれが評判を呼んでという感じで、会社側で特になにもしなくても対応できていたのです。
でも、今はそういうわけにもいかなくて。家にミシンがあるところも少ないですし、技術は見て盗んでくださいなんて、昔の伝授方法はもう通らないですから。今はやはりそういう制度が必要ということで、研修制度を設けたり、以前は定期的にリメイク技術発表会というようなコンテストも企画して、楽しみながら技術を習得できるようにしてきました。
あと、リフォームショップをするには、技術だけではダメで。笑顔だったり、言葉遣いだったり、やはり接客も大切になってくるので、技術と接客スキルの両方を育成しないといけないということが難しく、そこが会社としての一番の課題ですね。
伝統を革新する、 オーダー&リフォームの新しいカタチ
店舗のパターンオーダー看板
【島精機】
ずっとリフォームをメインにされてきたということですが、オーダー事業を立ち上げた経緯を聞かせてください。
【井上部長】
会社としては、着物から洋服を作ったり、お手持ちの生地で洋服を作らせていただいたりっていうのは、ずっとやっていたのですが、大阪の阪急百貨店うめだ本店さんが直営でオーダーサロンをされていたのを2016年に大改装されるとのことで、そのオーダーサロンも新しくしたいので協力して欲しいと声をかけていただきました。
敷居を下げて、もっと若いお客さまにもオーダーサロンを利用してもらえるようにしたいというお話でした。そこでオーダー&リフォームサロンとして展開したのが2017年です。阪急百貨店さんでは、フルオーダーとパターンオーダー、あとリフォームサロンがあって、フルオーダーは今まで阪急百貨店さんがずっとやってこられたフルオーダーで対応していき、パターンオーダーを新たに挑戦したいということで、当初は百貨店側の企画に準じる形で東京のデザイナー4名でスタートしました。
パターンオーダーの運営自体はうちがやっていたのですが、なかなか思うようにいかず、フォルムアイでなんとかできないかと。そこで、パターンオーダーに「uncreare(アンクレアーレ)」というブランド名を付けてスタートさせたのが2018年です。布帛が中心ではあったのですが、当時は既に島精機さんとお付き合いがあって、8店舗くらいでニットのオーダーも受けていました。
「uncreare」のブランドロゴ
ホールガーメント®から生まれる 新しい可能性
【島精機】
当初は他社に依頼してニットを生産されていたとのことですが、ホールガーメント®横編み機を自社に導入されたきっかけを教えてください。
【井上部長】
編み機の技術者である池田が入社したのがきっかけです。フォルムアイはリフォームの会社で、アナログというか、全てが人の手によるものでやってきたので、機械が編んでくれるっていうのは魅力的ですが、そんな簡単に出来ることではないなと。導入して、実際に編み機が動いているのを目の前で見て、素晴らしいと思いました。
ファクトリー内のホールガーメント®横編み機
【島精機】
実際にホールガーメント®横編み機でオーダー品を作られて、お客さまの評判はどうでしょうか?
【井上部長】
ホールガーメント®の企画自体、内容自体に感銘していただけるお客さまもおられますし、一度オーダーをしていただくと、自分の体にあったものが出来上がってくるということに喜んでいただけています。色やサイズのバリエーションなども含めて満足いただけると、次はこれっていう風になってきますし、何回もオーダーされるお客さまもいらっしゃいます。
編み機の上の糸立て台
【島精機】
今、オーダーニットを受けていらっしゃるのは何店舗あるのですか?
【井上部長】
「uncreare」としては大阪の阪神梅田本店の1店舗です。ニットだけではなくて、布帛のオーダーも受けています。取り扱い店舗としては、神戸阪急と熊本の鶴屋百貨店でも取り扱っています。この秋からは、他のリフォームショップ10店舗でも「uncreare」の一部商品の取り扱いをスタートしました。
うちの社長の考えとして、「uncreare」がショップ展開をしていくためには、サンプルの投入など結構な点数が必要になってくるということもあり、阪神梅田本店の1店舗をアンテナショップとして、今展開しているような形で、現状あるリフォームショップの店舗で取り扱いを増やしていくという方向性で進めていこうとしています。
今、ホールガーメント®横編み機をマイニットファクトリーに2台導入しているのですが、店舗を拡大していくとなると、編み機も技術者も増やしていかないと難しいということになってくるので、編み機を3台目、4台目と増やしていけることを目標にしています。
阪神梅田本店5階にある「uncreare」のショップ