和紙糸とプリントで新しい分野にチャレンジする両国の老舗工場
JR両国駅から両国国技館を過ぎて歩くこと約15分、3~5階建てのビルが立ち並ぶ墨田区にある有限会社フルカワ。時代によって変化する市場を、持ち前の発想力と行動力で柔軟に乗り越えてきました。今回は代表取締役社長の古川昌宏さんと本社とは別の場所にあるニット工場を任されている奥様の古川美希さんにBLUEKNIT storeを運営する島精機製作所メンバー(以下、島精機)がインタビューさせていただいた内容を前編、中編、後編の3部に分けてお届けします。
前編では60年以上の歴史を振り返り、同社の文化がどのように形成されたのかをご紹介いたします。
有限会社フルカワ本社ビル
【島精機】
この両国地区は元々メリヤス業者が多かったと先日出展されていたサステナブルファッションEXPOでお聞きしましたが、この地区の歴史やフルカワさんの事業について教えてください。
【古川社長】
すぐそこの都立横網町公園には戦時中陸軍被服廠という軍服を作る工場があり、この周辺のメリヤス工場で作られたメリヤス生地を買い上げていたと聞いています。私の父親はミシン販売店に丁稚奉公(でっちぼうこう)で入って、その後独立しましたが、兄弟弟子だけでも4人がこの地区で商売をしていましたので、それだけ多くのメリヤス工場、縫製工場があったということです。
【島精機】
現在もメリヤス工場は残っていますか。
【古川社長】
その後、関西のグンゼやハクタカ、アニマルなどのメリヤス工場が成長してきたことで、この地区の会社は工場を東北や信州に移し、縫製だけの仕事をするようになりました。丸編機が設置されていた敷地面積の大きな工場は、今はマンションや介護施設になっています。
左:古川昌宏社長、右:古川美希さん
【島精機】
御社は島精機より4年早く創業されていますが、ミシン代理店から附属品の生産工場に業態変換し、インクジェット事業まで始められましたが、この経緯を教えてください。
【古川社長】
先代はミシン代理店を行う傍ら、横編機(ヨシノ、三ツ星)で附属品(ポロシャツ襟や裾ゴムなど)の生産を行っていましたが、これも時代と共に縮小し、新しい技術であったジャカード編みに進出。この時初めて島精機さんのSEKシリーズを当時島精機さんの代理店であった中村さん経由で購入し、外注業者さんの工場に設置しました。
しかし、当社が作った生産データがコピーされ、当社より価格を下げて注文を取られる問題が出てきました。その様なタイミングで、島精機さんから招待されて横編機の新機種発表展示会に行ったところ、インクジェットプリンターのSIPが紹介されているのを発見。ジャカードでは4色程度が限界だが、プリントでは無制限の色数が使える事で興味を持ち、これなら誰も真似できないだろうと、導入を決定しました。
当時の先鋭的なブランドでプリント商品が採用され、5000枚のオーダーが入るようになりましたが、初代SIPはプリント速度が非常に遅く、2台を4台に増やし、2交代制で生産する状況が数年続きました。インクジェットプリンターは島精機さんでもリリース直後の製品だったため、問題も多かったので、技術サポートの方は夜中まで一緒に頑張ってくれました。
当時はインクジェットプリンターで服にプリントすること自体が珍しく、多くの関係業者が見学に来られました。代官山に自社ショップを持っていた時期もあり、そちらがテレビ番組で取り上げられたこともありましたね。
インクジェットプリンターでの作業風景
【島精機】
プリント事業で成功している状況にもかかわらず、島精機の新機種だったSWG-Miniシリーズを導入することになったそうですが、きっかけは何でしたか。
【古川社長】
インクジェットプリンターは初代の4台を2世代目のSIPに入れ替え、大きなサイズのプリントにも対応できるようにしました。島精機さんが和歌山市のビッグホエールという多目的ドームで開催した展示会を訪問した際、初出品されていたSWG-Miniシリーズを見つけ、即座に2台購入を決めました。プリント加工業から、帽子やマフラーなどの最終製品を作ることが目的で、SWG-Miniを導入したことで加工業からの事業拡大が図れました。
【美希さん】
何か華々しい話ばかりですが、生産現場はプリントのノウハウも全く無い中で、移染の問題などやプリント図案の作成等、初めての作業ばかりに取り組んできました。試行錯誤を繰り返して、何とかプリントが軌道に乗ったところで、また新しい機械(SWG-Mini)が導入され、専用のプログラミング研修を受けましたが、本当に大変な日々でした。
自ら編機のオペレーションを行う美希さん
【美希さん】
SWG-MiniによるニットとSIPによるプリントで他社が真似できない商品を展開することで、事業を展開してきましたが、やはり同様の商品も世に出てくるようになり、SWG-Miniによる最終製品作りはかなり減った時期もありました。そのような中で新型コロナが広まり、ニットマスクを作るようになりました。
ニットマスク販売でクラウドファンディングに挑戦するなどしていた時、島精機の営業マンから和紙糸の存在を知らされ、興味を持ちました。早速サンプル糸を購入し、製品を編んでみたというのが、現在行っている和紙糸との出会いです。
ニット工場でのプログラミング作業
前編では、株式会社フルカワの歴史や時代ニーズを先取りした事業展開についてお聞きしました。次回中編では、和紙糸でのものづくりや同社の強みなどについて聞いていきたいと思います。